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【追悼】橋田壽賀子さん

先日、仕事の合間にネットニュースを見たら訃報。とうとうかと滅入る。と言ってもご本人や作品に対して大層な思い入れはないのだが、今年だったか昨年だったか佐藤愛子さんと橋田先生の対談を読んだ時の印象が大きい。

 


死後の世界について2人が話しているところ、佐藤さんは別荘でのポルターガイストに長年悩まされた経験や霊能力者の人たちとの交流で、あの世はあると仰る。

また仲の良かった遠藤周作さんとあの世についてよく話していたらしく、どちらか先に逝って霊になってあの世があったら生きてる方に伝えようと言う約束をしたらしく、遠藤さんが亡くなってから数年後にその事を全然知らない霊能力者の人を通して遠藤さんが「あの世あったよ」と話し掛けてきたそうな。

 


それに対して橋田先生は確かに説明の出来ない不思議な事もあるけれど、死んだら無と仰る。ピシャリと放つような言葉に佐藤さんと対極した思想がこの対談面白いなと思った。

 


あと橋田さんが旦那さんが亡くなった後に、2階で執筆していたら1階に旦那さんの気配がした事があった話で「あれは思い出ね」と、記憶と風景が居るような気持ちにさせると言う話が酷く心に残った。

 


私自身も亡くなった祖母の散歩道を通ると、ふと居るような気になるが、すかさず思い出だなと思うようになった。

 


内容とは異なるけれど、佐藤さんのエピソードは小説家というかエッセイストらしいし、橋田さんのは脚本として風景が見えるのが面白いとも思った対談だった。敬称略がバラバラなのは気分と、テレビ出演で親近感のある橋田先生はテレビ呼びで、佐藤さんは馴染みがないのでさん付です。。(´・_・`)

 


私は出生前だって何もなかったのだから、きっと死後もと橋田さん的に思うけれど、色んな不思議な事もあるからと佐藤さんのお話をフワフワと愉快にも思う。色んな人の死生観に触れる事は自分の価値観を育ててくれる気がするし、知識は気弱な精神を強くする。

 


あと橋田先生と言えば私は渡る世間は〜のイメージしかなく、世の中嫌な姑、小姑がおるもんやと思いながら見た記憶。でも岡倉のお家に住みたいなと思ったり、藤岡琢也さんや山岡久乃さんのおじいおばあ像にも親しみがあったなあ。あとは、いいともでタモリさんや、おすピー達とわちゃわちゃなさってたイメージ(^◇^)

 


今日は追悼記事があちらこちらにあり、色々心惹かれる名言などが。備忘に簡略して記載。

 


自分は子がいなかったから好き勝手書けた。息子がいれば渡鬼の内容を見て、母さんは僕らの事こんな風に思っているのかと思われる心配が出てくる

 


子に面倒みてもらうと思う親、親の遺産に期待する子。双方期待をし過ぎるから、実際そうでなかった時に憎しみが出てくる

 


若い頃から死について意識を傾ける事で生き方を見つめ直す事ができる。。。うん、かなり簡略してる。一回エッセイ読まねば。。。

 

 

 

追記で昨夜見たクローズアップ現代では、亡くなった旦那さんはいつでも側に居ると嬉しそうに仰る姿が、あれ対談の時のピシャリと孤独さが滲む雰囲気と異なった。自分が脚本を書くことが旦那様の供養であるとの言葉も、祖母の一周忌を前にまだ心が留まらない自分には響いた一言だった。